_ プレプリント確認状況:arXiv:math 2月23日分まで、IACR ePrint 2012/408まで
_ 先日、某所で原子力発電所の再稼働への賛否に関する話題に触れたときに考えたことなどを書いておきたい。
原子力発電所というのは、「おっかなくて、わけのわからない」ものである。専門家やマニアならいざしらず、一般人が、技術的な原理から運営体制の妥当性に至るまでちゃんと理解して納得することはまず現実的でないであろう。そのような「おっかなくて、わけのわからない」原子力発電所を運用する主体に求められる資質は何だろうか。もちろん、できるだけ客観的な材料によって安全性の説明を尽くすことは望まれるのだが、最終的には一般人から見て「細かいことはよくわからないが、あの人たちならしっかりやってくれるはずだ」と思えるだけの信頼感が必須であると私は考える。
再稼働に反対する人が増えている大きな理由は、まさにこの運営側(電力会社や政府など)に対する信頼感の欠如にあると思われる。(まぁ率直に言って、事故前の対策の不備もさることながら、事故後の彼らの対応の様子を見ていて「信頼しろ」というのはちょっと無茶だろうと思うのだが。)
現状、事故に関する責任を運営側に問いただしたり、事故の再発防止に向けた対策の整備を要求する声を挙げているのは、再稼働に賛成する人たちよりもむしろ反対する人たちであるように見える。それもおかしな話である。本来、一刻も早く原子力発電所を再稼働したいからこそ、それに必要な信頼感の回復のために、責任の所在を明確にし、しっかりとした事故対策を打ち出すことを運営側に要求するべきなのである。それをしない自称「再稼働賛成派」の人が、「再稼働反対派」をただ嘲う光景は、何とも頭の痛いものである。
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